入浜塩田(読み)いりはまえんでん

世界大百科事典(旧版)内の入浜塩田の言及

【赤穂塩田】より

…17世紀初頭の古地図と慶長検地帳によると,赤穂湾岸一帯に約100haの古式入浜の存在が確認できる。1625年(寛永2)ころ姫路藩東部に〈入浜塩田〉が出現し,45年(正保2)から赤穂でも造成が始まる。入浜塩田とは平均1.5haを生産・経営の単位とし,これに塩釜1基を合わせて一軒前といい,女,子ども合わせて約10人を前貸制賃労働として雇用した。…

【塩田】より


[入浜系]
 (1)古式入浜 太平洋岸の湾内や水道の入江などに存在した。基本的な構造は(3)の入浜塩田と同じであるが,自然条件やその地域の後進性,兼業と家族労働によるため,生産・経営が合理化されていないものをいう。(2)塗浜的入浜 小豆島の一部にみられた。…

【塩】より

…塩は食塩とも呼ばれるが,化学的には塩化ナトリウムNaClと呼ばれ,ナトリウムイオンと塩素イオンとが規則正しく配列した無色透明の正六面体の結晶で,へき開性もある。製法により結晶の外形も不定形になり,色相も種々の色を呈する。比重は2.2程度,モース硬度は2~2.5,融点は800℃付近,沸点は1440℃,飽和食塩水の氷点は-21℃である。水に対する溶解度は,温度によりほとんど変わらず,20℃で26.4%,100℃で26.9%である。…

【播磨国】より

…1600‐04年の間に加古郡高砂・荒井両村に塩田が開発され,つづいて印南郡曾根,大塩,的形から飾東郡木場村にかけて塩田が造られた。古式入浜塩田であったが,やがて寛永ごろ荒井村あたりで入浜塩田が創始された。この技術は,この地の浜人によって浅野氏入封(1645)当初の赤穂に移され,同地の東浜塩田において完成をみた。…

※「入浜塩田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」