右渠(読み)うきょ

世界大百科事典(旧版)内の右渠の言及

【衛氏朝鮮】より

…彼の勢力は一時遼東にまでおよんだ。漢に武帝が出ると,武帝は使者渉何を遣わして招撫したが,衛満の孫,右渠は招撫使を殺害して抵抗したので,前109年(元封2),武帝は大軍を発して王険城を攻めた。翌108年,右渠は内乱で殺され,衛氏朝鮮は3代80余年で滅亡した。…

※「右渠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」