同仇会(読み)どうきゅうかい

世界大百科事典(旧版)内の同仇会の言及

【会党】より

…興中会は華南の三合会,華中の哥老会のいくつかの山堂の首領と連絡して,会党と革命党の連絡組織としての興漢会を作り,さらに海外の洪門(致公堂)とも連絡した。また華興会,光復会も哥老会と結んでそれぞれ同仇会,竜華(りゆうげ)会を組織した。それらはいずれも会党が革命党の理論と指導を受けいれてできたものである。…

【華興会】より

…帝政ロシアの東北(旧満州)侵略を引金に,留日学生出身の黄興,陳天華らが,1904年(光緒30)2月,長沙で宋教仁,譚人鳳らとともに結成した。同仇会は,会党哥老会の頭目馬福益の協力を得て作られた別働隊で,日本軍を手本に組織され,数万~10万人を動員したという。同年秋,西太后爆殺計画が漏れて,黄興らは日本に亡命した。…

※「同仇会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」