世界大百科事典(旧版)内の同文館(日本)の言及
【百科事典】より
…しかし,東西の文化が混在する近代の日本で,中国の伝統的な類書の構成に依拠しながら,百科事典を編纂することは,しだいに無理になってきた。欧米式の百科事典の方式をとり入れた最初のものは,田口卯吉の《日本社会事彙》2巻で,1890‐91年に刊行されたが,欧米の百科事典にならう総合的な事典の出版を計画したのは同文館であった。同文館は1901年に計画を発表し,《商業大辞書》6巻,《医学大辞書》8巻以下,分野別大辞書を刊行し,それらを併せて《大日本百科辞書》と名付けたが,この性急な出版事業は莫大な経費を要し,12年に同文館は倒産した。…
【婦女界】より
…商業的な女性雑誌の草分けとして1910年3月に同文館から創刊された。初期には坪内逍遥や上田万年(かずとし)らが寄稿し,編集協力者としてはのちに《婦人之友》を興す羽仁吉一・もと子夫妻がいた。…
※「同文館(日本)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」