富高県(読み)とみたかけん

世界大百科事典(旧版)内の富高県の言及

【日向国】より


[維新後の行政区画]
 維新後,日向の行政区画は変転をきわめた。まず維新政府は1868年1月天領を没収する旨を布告,閏4月,日向5郡中旧天領29ヵ村をおさめて県制をしき,富高県とした。しかし,まもなく8月には同県は廃され,日田県に合併,翌69年2月には旧幕領の集中的掌握をめざして延岡藩領2.7万石と日田県管轄の3.6万石との換地が行われた。…

【宮崎[県]】より


[沿革]
 県域はかつての日向国の大部分にあたり,江戸時代末期には高鍋藩,延岡藩,佐土原藩,飫肥(おび)藩のほか,薩摩藩領(諸県(もろかた)郡),人吉藩領(米良山(めらやま)),天領,預地があった。1868年(明治1)旧天領は富高県となり,次いで日田県に併合され,71年豊後の延岡藩領と換地された。また人吉藩預りの椎葉山(しいばやま)諸村は1868年日田県,71年人吉藩の所管となった。…

※「富高県」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」