府中三人衆(読み)ふちゅうさんにんしゅう

世界大百科事典(旧版)内の府中三人衆の言及

【越前国】より

… 1573年朝倉氏滅亡後まもなく一向一揆が蜂起するが,翌々年信長は出兵して越前を再平定した。柴田勝家に越前八郡を,その目付として府中三人衆(前田利家,佐々成政,不破光治)を府中に置いて付近の今立・南条2郡を支配させた。また大野郡は金森長近,原政茂,敦賀郡は武藤舜秀が統治した。…

【前田利家】より

…尾張愛知郡荒子に生まれ織田信長に近侍し,1551年(天文20)以来諸征服戦に従軍,59年(永禄2)信長の勘気を受けて蟄居(ちつきよ)したが69年許されて家督を継いだ。赤母衣衆となり,75年(天正3)越前平定後武主(ものぬし)柴田勝家のもとで佐々成政,不破光治と府中三人衆として施政に当たり,81年能登に転封,翌年本能寺の変の後,越中の前線から撤退して石動山天平寺の僧徒や温井,三宅等の反乱を討伐し,翌年賤ヶ岳の戦に従軍したが豊臣秀吉に下った。柴田氏の滅亡後,加賀金沢城主となって越前北ノ庄の丹羽長秀とともに北陸を制する大大名となった。…

※「府中三人衆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」