世界大百科事典(旧版)内の日本病跡学懇話会の言及
【パトグラフィー】より
… 日本では,1902年にメービウスのニーチェ研究が創刊まもない《日本神経学雑誌》に紹介されたのが始まりだが,この方面はとかく医学者の余技として軽視されがちで,式場隆三郎の大著《ファン・ホッホの生涯と精神病》(1932)など,いくつかの先駆的な業績はありながら,学問としての定着をみない時代が長く続いた。パトグラフィーが日本で市民権を得たのはやっと第2次大戦後で,わずかな研究者が集まって66年に日本病跡学懇話会(79年以後,学会)を創設し,毎年2回(84年以後,1回)の総会を開くとともに,その機関誌《日本病跡学雑誌》(隔年刊)を刊行しはじめたのが学問的出発といえる。このように専門の学会や機関誌をもつ国はほかにはなく,その点で日本にはパトグラフィーの発展の条件がそなわっているとも思われるが,そこで取り上げられる日本人は夏目漱石,芥川竜之介,三島由紀夫などおおむね明治以後の作家に限られていてヨーロッパのような広がりはない。…
※「日本病跡学懇話会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」