東洋のマタ・ハリ(読み)とうようのまたはり

世界大百科事典(旧版)内の東洋のマタ・ハリの言及

【川島芳子】より

…その前後から上海公使館付武官田中隆吉陸軍少佐,関東軍参謀板垣征四郎大佐らと接触し,満州事変から日中戦争の期間を通じて,日本の対中国謀略工作にかかわるようになった。32年の上海事変では活発な諜報活動で国民政府の秘密情報をもたらし,翌年,村松梢風のモデル小説〈《男装の麗人》〉が評判となって,〈東洋のジャンヌ・ダルク〉〈東洋のマタ・ハリ〉などのイメージが広まった。1時〈満州国〉女官長を務め,また熱河作戦では〈安国軍司令〉として部隊を率いて活動し,関東軍の宣伝材料に利用された。…

【粛親王】より

…辛亥革命がおこると宗社党に加わって革命に反対し,12年と16年の2度にわたって日本軍部と結んだ大陸浪人川島浪速らの策謀に乗り満蒙独立運動を画策したが失敗した。東洋のマタ・ハリといわれた川島芳子(1907‐48)は善耆の娘。【並木 頼寿】。…

※「東洋のマタ・ハリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」