清水坂非人(読み)きよみずざかひにん

世界大百科事典(旧版)内の清水坂非人の言及

【清水坂】より

… 平安時代の最末期より南北朝時代にかけて,当坂周辺の人口はめだって増えたようであるが,その多くは,やはり車借,乞食,坂非人たちであったらしい。1179年(治承3)にこの車借たちと祇園大衆とが闘争して,清水坂一帯が焼打ちにあったことや,1224年(元仁1)と44年(寛元2)の2度にわたって清水坂非人と大和の奈良坂非人とが各地の宿々の権益をめぐって,この坂を舞台に集団武闘をくりひろげ,大さわぎになったことなどは,中世史上に名高い。南北朝時代には〈坂ノ籠(ろう)〉と通称された牢獄が当坂に設置されていて,坂非人とともに〈獄舎囚人〉に対しても施行(せぎよう)が行われた。…

※「清水坂非人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」