磯田道冶(読み)いそだどうや

世界大百科事典(旧版)内の磯田道冶の言及

【竹斎】より

…木活字本,寛永絵入整版本,寛文版《竹斎狂歌ばなし》,天和版《下り竹斎》など諸版がある。作者は烏丸光広(1579‐1638)ともされたが,伊勢松坂生れ,江戸住みの医者磯田道冶(どうや)(1585‐1634)説が有力。山城国京都の貧乏医者竹斎が都に望みを失い,下僕にらみの介(すけ)と諸国行脚を志し,なごりの京名所見物を終え,東海道を下って名古屋に3年滞在,とんちの治療で成功したり,井戸に落ちた子を膏薬で吸い出す治療に失敗したりする。…

※「磯田道冶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」