第1次共産党事件(読み)だいいちじきょうさんとうじけん

世界大百科事典(旧版)内の第1次共産党事件の言及

【日本共産党】より

…同年5月の早稲田軍教事件をきっかけに当局は共産党の存在を知り,堺,山川,徳田,市川正一野坂参三ら党員を逮捕し29名を治安警察法違反で起訴した。この第1次共産党事件に続く関東大震災時の社会主義者の虐殺を含む弾圧のなかで赤松克麿らの解党論が台頭し,24年2月に荒畑寒村の反対はあったが解党を決議した。
[福本イズム]
 解党後設置された残務整理委員会は,同年5月雑誌《マルクス主義》を発刊したりしたが,コミンテルンは解党に反対し,25年1月の上海会議で党再建を指示した。…

【早稲田軍教事件】より

…このあと縦横俱楽部などの学生がのりこみ暴力をふるい,大山郁夫,佐野学,北沢新次郎,猪俣津南雄ら教授の解職要求など,〈赤〉攻撃をはじめた。軍教事件で捜査をおそれた佐野は研究室に保管してあった共産党関係の文書を知人労働者に預けたが,これが発覚して6月の第1次共産党事件となった。軍教事件は,大学の反軍と大学自治擁護運動の嚆矢(こうし)となった。…

※「第1次共産党事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」