粟田関白(読み)あわたのかんぱく

世界大百科事典(旧版)内の粟田関白の言及

【藤原道兼】より

…兼家の摂政就任後,連年官位を進めて右大臣に昇り,995年兄道隆の没後,待望の関白の座についたが,就任の奏慶後,わずか7日で没したので,〈七日関白〉と称された。世に粟田関白,町尻殿と号した。【橋本 義彦】。…

※「粟田関白」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」