長瀬荘(読み)ながせのしょう

世界大百科事典(旧版)内の長瀬荘の言及

【山論】より

…山野の境相論は用益・開発関係が相互に入り組んでおり,かつ証拠となる公験(くげん)等が十分ではないから,いったん発生すると容易に決着のつけがたいものとなった。例えば1199年(正治1)の伊賀国黒田荘と大和国長瀬荘の境相論では,〈山野谿谷の習,際目(境目)の不審出来するの日,其沙汰煩多し〉と述べられている。こうした解決困難な中世の山論では,次のような慣習法が形成された。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」