青山脳病院(読み)あおやまのうびょういん

世界大百科事典(旧版)内の青山脳病院の言及

【斎藤茂吉】より

…21年歌集《あらたま》を刊行し,写生説を深化した境地をうちたてた。同年10月ヨーロッパに留学し以後3年間医学研究を行い,医学博士の学位を得て帰国の途次,養父の経営する青山脳病院全焼の悲報に接した。25年病院再興に努め,その間,特異の体臭をにじませた滞欧随筆や《念珠集》(1930)所収の諸文を発表,評論・歌作活動をも活発に行った。…

※「青山脳病院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」