世界大百科事典(旧版)内の魚街道の言及
【高野川】より
…高野川の河谷には,京都から大原を経て途中峠を越え,近江朽木に抜けて若狭に至る若狭街道が通じ,古代から重要な交通路であった。山端には旅人相手の茶屋が並び,若狭から塩サバなど塩干物が多数運搬されたため,若狭街道は〈魚街道〉とも呼ばれたという。江戸時代の高野川には井堰が約40ヵ所設けられて流域の重要な農業用水源とされ,水争いもたびたび生じた。…
※「魚街道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」