Özbeg-Qazaq(その他表記)OzbegQazaq

世界大百科事典(旧版)内のÖzbeg-Qazaqの言及

【カザフ族】より

…そのころ,ウズベクのアブー・アルハイル・ハーンに圧迫されて,キプチャク・ハーン国の左翼を支配した王族の後裔ジャーニーベク・ハーンJānībeg Khānを戴く遊牧集団は,シル・ダリヤ流域から西部天山北麓へと移住した。彼らはウズベク・カザクÖzbeg‐Qazaq,あるいは単にカザクQazaq(放浪者,冒険者の意)と呼ばれ,ウズベクから離れた者をも吸収して,キプチャク草原(カザフスタン)に勢力を拡大していった。16世紀前半のカーシム・ハーンQāsim Khān(在位1511‐23)のときには,人口30万とも100万ともいわれる大勢力にふくれあがり,やがて,西はウラル山脈,カスピ海北西岸から,東はバルハシ湖までの広い領域を版図とするにいたった。…

※「Özbeg-Qazaq」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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