世界大百科事典(旧版)内のẒāhiral-‘Umarの言及
【パレスティナ】より
…しかし18世紀後半,レバノン山地やエジプトの情勢と連動しつつ,アッカーを中心にして,イスタンブールのスルタン政府から自立した地方権力が展開した。すなわち,サファドの領主ザーヒル・アルウマルẒāhir al‐‘Umarは勢力を拡大して,1768‐74年露土戦争の際にエジプトのアリー・ベイと同盟し,ロシアの援助を得つつオスマン宮廷に反逆した。また,ザーヒルの権力の崩壊後は,1774‐1804年の間アッカーに拠ったボスニア生れの軍人ジャッザールがシリア全土に勢威を伸ばし,オスマン帝国もこれを認めて利用せざるをえなかったが,彼は,1799年にエジプトからシナイ半島を越えてアッカーを衝こうとしたナポレオン軍を,イギリス艦隊に支援されつつ撃退することができた。…
※「Ẓāhiral-‘Umar」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」