《いろは新聞》(読み)いろはしんぶん

世界大百科事典(旧版)内の《いろは新聞》の言及

【仮名垣魯文】より

…ついで文明開化期の世相をとらえた《安愚楽鍋(あぐらなべ)》(1871‐72)で話題をよぶ。1872年〈三条の教憲〉公布後はしばらく文筆活動から遠ざかったが,新聞ジャーナリズムの活発化とともに復活,自ら《仮名読(かなよみ)新聞》《いろは新聞》などを創刊主宰し,戯文(ぎぶん),続き読物,劇評を発表する。なかでも《高橋阿伝夜叉譚(たかはしおでんやしやものがたり)》(1879)はニュースと物語を結合させた新しい現実再現譚としての性格を持ち,明治期の戯作の復興に貢献した。…

※「《いろは新聞》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」