世界大百科事典(旧版)内の《ゲルニカ》の言及
【ピカソ】より
…以後,表現主義,シュルレアリスムなどの影響を自由にとり入れ,成熟した確定的な画面を生む(《鏡の前の少女》1932,ニューヨーク近代美術館など)。表現主義的,シュルレアリスム的傾向は,30年代後半の〈ミノタウロス連作〉,ドイツ空軍によるバスク地方の町ゲルニカの爆撃を契機に制作された大作《ゲルニカ》(1937,マドリード美術館)で頂点に達し,30年代西欧の不安や戦争への怒りを表現した。第2次大戦中はパリにとどまり,戦後,南フランスのアンティーブAntibes,ついでバローリスVallaurisに移る。…
※「《ゲルニカ》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」