世界大百科事典(旧版)内の《ジャラーリー暦》の言及
【ウマル・ハイヤーム】より
…ニーシャープールに生まれ,26歳でセルジューク朝のスルタン,マリク・シャーの宮廷に登用された。多くの科学書をはじめ,《マリキー暦》あるいは《ジャラーリー暦》と呼ばれる正確な暦を残す。イランの新年(ノウルーズ)の歴史・祭祀を記した《新春の書》も彼の著作といわれる。…
【ペルシア暦】より
…ペルシア暦の基礎は,《ルバーイヤート》の作者で,同時に天文学者・数学者のウマル・ハイヤームによって定められた。彼の手になる暦は,時のセルジューク朝の君主マリク・シャーの称号ジャラール・アッダウラにちなんで,〈ジャラーリー暦〉と呼ばれる。歴史的には,古代イランには,アケメネス朝の宮廷暦と,ゾロアスター教の神格名を各月に冠した宗教暦の2種があった。…
※「《ジャラーリー暦》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」