《ドクトル・マブゼ》(読み)どくとるまぶぜ

世界大百科事典(旧版)内の《ドクトル・マブゼ》の言及

【マブゼ博士】より

…怪奇探偵映画の傑作として知られるフリッツ・ラング監督作品で,サイレント作品とトーキー作品2本(続編およびリメーク)がある。最初の作品は1922年製作,日本公開題名は《ドクトル・マブゼ》,原題は《Dr.Mabuse,der Spieler(賭博者マブゼ博士)》で,表現主義映画の代表作の一つに数えられている。オリジナル版は,〈偉大な賭博者――ある時代の表象〉と〈地獄――ある時代の人びと〉の二部構成で,二夜連続で上映された。…

【ラング】より

…建築と美術を学び,第1次世界大戦で負傷して入院中に書いた脚本がヨーエ・マイJoe May監督(1880‐1954)によって映画化されたのち,プロデューサーのエーリヒ・ポマーに認められて映画界に入り,1919年にデッカ社の監督となる。敗戦後の〈時代の一つの記録〉といわれる《ドクトル・マブゼ(《マブゼ博士》)》(1922),民族的伝説を壮大に映画化した《ニーベルンゲン》(1924),未来都市を空想的に描いてSF映画の古典となった《メトロポリス》(1926)が世界的に注目され,また,少女殺しの実話をもとにした最初のトーキー作品《M》(1932)は,音と画面との対位法を効果的に用いた歴史的傑作とされているが,公開されてから3年後には,ナチスの禁止映画のリストに載せられた。そしてまた,《ドクトル・マブゼ》の第2部,ラングによれば〈ヒトラーが用いたテロリズムの方法を示す寓話〉であり〈ナチズムの秘密の理論を暴露しようとした〉《怪人マブゼ博士》(1932)は,ナチスによる禁止映画第1号となった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」