《ハイアワサの歌》(読み)はいあわさのうた

世界大百科事典(旧版)内の《ハイアワサの歌》の言及

【ハイアワサ】より

…ハイアワサという長が実際にこうした平和的連合体をつくったのは1450年ころであった。この事情を扱ったいくつかの資料をもとに,さらにフィンランドの叙事詩《カレワラ》の影響下に創作されたロングフェローの《ハイアワサの歌》(1855)は,月の娘ナミコスに育てられたオジブワ族のハイアワサの冒険物語詩の形をとっている。インディアンと白人との平和共存を暗示する寓意的結末などは,いかにも保守的詩人ロングフェローの作品らしい結末というべきであろうか。…

【ロングフェロー】より

…その後,母校の近代語の教授,さらにハーバード大学に招かれてジョージ・ティクナーの後を継いで近代語の教授を務め,再びヨーロッパに留学した。その間にも早くより創作を始め,作者のヨーロッパ趣味を漂わせる散文《海の彼方に――巡礼は海を越えて》(1833‐34),自伝的な散文《ハイペリオン》(1839),有名な〈人生のうたA Psalm of Life〉を含む詩集《夜の声》(1839),《バラードその他の詩集》(1842),フレンチ・インディアン戦争当時の実話をもとにした悲恋叙事詩《エバンジェリン》(1847),インディアン伝説に取材した《ハイアワサの歌》(1855),初期プリマス植民地を背景とする恋愛叙事詩《マイルズ・スタンディッシュの求婚》(1858)などの作品を次々と発表し,教授詩人として並々ならぬ名声を確立しながら,さらにダンテの《神曲》の翻訳(1865‐67)も行った。しかし同時代のJ.R.ローエルが《ビッグロー・ペーパーズ》などで反奴隷制の論争を展開したのに比べれば,ロングフェローの立場は,ローエルに現実逃避と非難されたO.W.ホームズの立場に似ている。…

※「《ハイアワサの歌》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」