世界大百科事典(旧版)内の《プロイセン主義と社会主義》の言及
【シュペングラー】より
…それまでの彼は,高等学校教師の経験をもつ無名の一民間学者でしかなかったが,これ以後は新時代のドイツの哲学者,政論家として健筆を振るった。〈文明〉期の哲学者たることを自認する彼の得意の領域の一つは政治論であったが,《プロイセン主義と社会主義》(1920)に示された議会制民主主義の否定,プロイセン的社会主義の主張は,ナチズムに先駆するワイマール期の数多くの右翼的論説にまぎれて,さほどの反響を呼びえなかった。ただ彼はヒトラーのナチズム運動には政治的意義を認めようとしなかったから,晩年はナチスに発言を封じられ,もっぱら先史学的研究に没頭し,失意のうちに死去した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」