《ホメロス叙説》(読み)ほめろすじょせつ

世界大百科事典(旧版)内の《ホメロス叙説》の言及

【ウォルフ】より

…1783年ハレ大学教授に就任,23年間その職にあったが,1806年ナポレオン軍によってハレ大学が閉鎖されるに及んでベルリンに移り住み,のち南仏ニースに赴く途次マルセイユで他界。業績の最も重要なものは《ホメロス叙説》(1795)である。彼はその中で〈ホメロス叙事詩は口承詩として生まれ伝えられた。…

【ホメロス】より

…そして1781年にベネチアで,前3~前2世紀のアレクサンドリアの大学者たち,ゼノドトス,ビザンティンのアリストファネス,サモトラケのアリスタルコスらによる,ホメロス本校訂作業の詳細を伝える古注がびっしり書き込まれた《イーリアス》の最古の写本(10世紀)が再発見されると,100年以上の校訂作業を要したホメロスの叙事詩とは,いったい,いかにして成立したものかという問題が強く意識されるようになった。 このような中で1795年,ドイツのF.A.ウォルフが,両詩は一個人の作にあらずと主張する《ホメロス叙説》を世に問うて大きな反響を呼んだ。彼の論旨は次のようなものであった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」