《中国哲学史大綱》(読み)ちゅうごくてつがくしたいこう

世界大百科事典(旧版)内の《中国哲学史大綱》の言及

【国故整理運動】より

…そうした風潮に対して,19年の五・四運動の前後から,中国固有の伝統思想や文化を学術的立場から新たに再検討し再評価しようとする運動が出現,それを国故整理運動という。国故整理の動きは,早くに清末の章炳麟を元祖とするが,より直接的には,17年にアメリカから帰国して北京大学教授となった26歳の胡適が書いた《中国哲学史大綱》(上巻,1919)を創始とし,およそ四つの分野からなる。第1は,胡適や梁啓超の《先秦政治思想史》に代表される先秦の諸子百家および仏教などについての思想史的研究。…

【胡適】より

…この年発表された《文学改良芻議》は,文学革命の発火点となった。また,従来の儒学を正統とする価値観を脱して論理的思考の発達を考案した《中国哲学史大綱》(上巻,1919刊)を書いて学術界に強い衝撃を与えた。五・四新文化運動において,彼は陳独秀,李大釗(りたいしよう)とともに,その有力な指導者として尊敬されたが,運動がマルクス主義的傾向を強くするにともなって,それを批判し,〈問題を多く研究し,主義を論ずることを少なくせよ〉ととなえて改良的立場を鮮明にした。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」