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《会議は踊る》 かいぎはおどる

世界大百科事典内の《会議は踊る》の言及

【ウィーン会議】より

ナポレオン戦争後,ヨーロッパの政治的再編のためウィーンで開かれた列国会議。会議は1814年9月18日の予備会談から翌15年6月9日の最終議定書の締結まで続いたが,その間全体会議は一度として開かれず,もっぱら大国代表からなる委員会で具体的な詰めが行われ,映画《会議は踊る》の題名に象徴されているように,それは権謀術策を旨とする舞台裏の饗宴外交であった。会議には200人以上の国家の代表が参加し,オーストリア外相メッテルニヒが議長となった。…

【ドイツ映画】より


[トーキー時代――トビス社の設立とパプスト監督の活躍]
 トーキーは,アメリカより約3年遅れて出発したが,まもなくドイツ独自のトーキー・システム〈トビス・クラングフィルムTobis‐Klangfilm式〉が完成され,1929年ころから本格的な製作が始まり,同時に高度なトラスト化が進んでウーファとトビスTobisの二大映画会社が市場を支配した。ワルター・ルットマン監督《世界のメロディ》(1929),ジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督《嘆きの天使》(1930),ラング監督《M》(1931),エリック・シャレル監督《会議は踊る》(1931),レオンティーネ・ザガン監督《制服の処女》(1931),ウィリー・フォルスト監督《未完成交響楽》(1933),《たそがれの維納(ウイーン)》(1934)などがつくられ,また反ナチスの監督パプストは反戦映画《西部戦線一九一八年》(1930),資本主義社会の腐敗と偽善を痛烈に描いた《三文オペラ》(1931),労働者の国際的連帯を描いた《炭坑》(1931)などの問題作をつくり,ドイツの〈トーキー芸術〉確立に寄与した。
[ヒトラーと映画]
 1933年に政権を握ったヒトラーは,宣伝相ゲッベルスを通じてドイツ映画のナチス化をはかり,ウーファをナチス支配下の独占的な国策映画会社とし,さらにユダヤ人や自由主義的な映画人を追放して,ドイツ映画をヒトラーの宣伝機関化した(1933年渡米したラングなど,多くの映画作家がこの時期にドイツを離れている)。…

※「《会議は踊る》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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