世界大百科事典(旧版)内の《参両録》の言及
【遺題継承】より
…初めて,この難問の解答を公開したのは榎並和澄(えなみともすみ)である。榎並は12年後の53年(承応2)に《参両録》を出版し,その中に《塵劫記》の遺題のいくつかに解答を示した。しかも,このようなやさしい問題を難問とはおかしいといい,彼自身も8問の難問を掲載した。…
【改算記】より
…《塵劫記》より後に出版されたので,《塵劫記》の解説という色合いが濃いが,内容が豊富で,亀井割,弾道,月塩知死後などの問題も含まれている。本書の名前は,《塵劫記》,今村知商の《因帰算歌(いんきさんか)》(1640),榎並和澄の《参両録》(1653)などの数学書の誤りを訂正するという意味でつけられている。《参両録》を非難するとともに,《塵劫記》の遺題を解き,さらに遺題11問を提出したことによって,遺題継承に拍車をかけた。…
【塵劫記】より
…この小型3巻本はそれまでの内容を大きくあらため,また増補した部分も多いが,なかでも大きな特徴は,世間の数学者に挑戦する問題12問を巻末に掲載したことにある。この問題を遺題というが,12年後の53年(承応2)に,榎並和澄(えなみともすみ)はその著《参両録》の中で,《塵劫記》の遺題の一部に解答を示し,自己の出題8問を示し,ここに前者の解答と自己の出題を示すというリレー式の問答である遺題継承が始まった。遺題継承により江戸初期の数学はまたたくまに高度な数学になった。…
【和算】より
…この問題は多くの数学者に興味を与えた。これに初めて答えを公表したのが榎並和澄(えなみともすみ)著《参両録(さんりようろく)》(1653)である。榎並は,吉田の問題を批判し,自分ならもっとよい問題が提出できるとし,8問を巻末に付した。…
※「《参両録》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」