《子思子》(読み)ししし

世界大百科事典(旧版)内の《子思子》の言及

【子思】より

…宋や衛を遊歴したのち,魯の穆公(ぼくこう)に仕えて賓師として待遇された。《子思子》33編があったというが,つとに亡失し,《礼記(らいき)》の〈中庸〉〈表記〉〈坊記〉〈緇衣(しい)〉の4編は《子思子》からの転載とされるが,すべてが子思の自作ではなく,子思学派の所産であろう。子思が有名になったのは,宋代,朱熹(子)によって《中庸》が重んぜられ,孔子―曾子―子思―孟子の道統が強調されてからである。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」