《帝国主義論》(ホブソン)(読み)ていこくしゅぎろん

世界大百科事典(旧版)内の《帝国主義論》(ホブソン)の言及

【帝国主義】より

…彼は雑誌の特派員として南アフリカを訪問し,その戦争の背後には経済的動機,とりわけ大金融業者の暗躍があるとの印象を受けた。そして,帰国後,彼は近年イギリスからの資本輸出が急増している点に着目し,植民地拡大はイギリス国内の過剰資本を投資する先を求める大金融業者と投資階級の特殊利益のためにあり,しかも,帝国主義の全体的な構図を描く能力をもつ司令部は金融業者であるという仮説のもとに《帝国主義論》(1902)を書いた。これは,海外膨張を重大な病理状態と見立て,その病巣はイギリス本国で影響力を増す既得権益の体系であると指摘した点で,多大の意義をもった。…

【帝国主義論】より

…一般的に〈帝国主義〉とは,1880年代初頭から第1次大戦に至る時期に,欧米の先進的工業諸国が〈アフリカ分割〉を皮切りにして世界の後進諸地域にその影響力,支配力を拡大していった事象を表す。この帝国主義をもっぱら経済的動機に規定されたものであるとの前提に立ち,初めて体系的な説明を施したのがJ.A.ホブソンの《帝国主義論》(1902)である。ホブソンは,資本主義経済の比類ない生産力によって生み出される過剰な商品ならびに資本が,国内市場だけでは吸収しきれないため,そのはけ口を外国市場に求める結果として帝国主義が導かれるとし,とくに過剰な資本の輸出が帝国主義の原動力であると述べた。…

【ホブソン】より

…イングランドのダービーで自由主義的な新聞経営者の家に生まれ,1880年から87年までオックスフォード大学で主として古典学を学び,卒業後著述活動の傍ら経済学の研究に励んだ。著書は大小50種以上にのぼるが,20世紀の初頭,折しもイギリスで植民地領有熱がさかんであったころに著した《帝国主義論Imperialism:A Study》(1902,4版1948)は,世界に広く知られている。本書は彼が《マンチェスター・ガーディアン》の特派員として99年南アフリカにおもむき,南ア戦争を目撃するなどした体験に刺激されて書かれた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」