《広輿図》(読み)こうよず

世界大百科事典(旧版)内の《広輿図》の言及

【朱思本】より

…しかし,その最大の功績は《輿地図》の作製で,10年の年月を経て完成し,それを石に刻んだ。この刻石も原図も残っていないが,明の1555年(嘉靖34)ごろに刊行された羅洪先の《広輿図》はこれを引きついだもので,《輿地図》の面影を知ることができる。縦横ともに7尺の平面図であった。…

【地図】より

…上記の両禹跡図から見て,一目が1寸の方格を備えていたことは疑いない。元代の朱思本(しゆしほん)の《輿地図(よちず)》(1320),それを分割増補して地図帳とした明の羅洪先(らこうせん)の《広輿図》(1561年と66年の二つの序がある)にも方格法は正しく受け継がれている。 元代にはイスラムの大地球体説や地球儀や世界地図が伝来し,ヨーロッパやアフリカが地図上に登場することになったが,それらは在来の中国全図の西方に小さく描かれるにすぎなかった。…

※「《広輿図》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」