《書簡集》(読み)しょかんしゅう

世界大百科事典(旧版)内の《書簡集》の言及

【書簡体小説】より

…20世紀においてもモンテルランの《若き娘たち》(1936‐39),日本では志賀直哉の《(むしば)まれた友情》(1947)などこの手法の小説は散見されるが,文学史的に見て,この技法が流行を見たのは17世紀後半から19世紀中期までの西欧文学においてである。その先駆となるのは,長らく真実の書簡集と思われていたが今日ではフランスのギユラーグ伯の作と推定される,有名な《ポルトガル文》(1669)である。18世紀に入るとイギリスではS.リチャードソンの《パミラ》(1740),《クラリッサ・ハーロー》(1747‐48),T.G.スモレットの《ハンフリー・クリンカー》(1771),フランスではモンテスキューの《ペルシア人の手紙》(1721),ルソーの《新エロイーズ》(1761),ラクロの《危険な関係》(1782),ドイツではゲーテの《若きウェルターの悩み》(1774)など質・量ともに最盛期を迎え,バルザックの《二人の若妻の手記》(1841‐42),ドストエフスキーの《貧しき人々》(1846)などが流行の終りを飾る19世紀の傑作である。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」