《朝食テーブルの独裁者》(読み)ちょうしょくてーぶるのどくさいしゃ

世界大百科事典(旧版)内の《朝食テーブルの独裁者》の言及

【ホームズ[父]】より

…ハーバード大学で医学を学び,パリ留学(1833‐35)から母校の解剖学・生物学教授(1847‐82)にいたる間も文筆活動を続けた。《朝食テーブルの独裁者》(1858)をはじめとするエッセー風の読物や小説《エルシー・ベナー》(1861)などで文名を高めたが,奴隷問題,米墨戦争,南北戦争に揺れる社会にあっても社会的関心を見せず,J.R.ローエルにさえ〈徹底した保守主義者〉と批判された。古き良きボストンをこよなく愛しながら,そこが移民や社会変革などで根底から変わりつつあることにも気づかぬようであった。…

※「《朝食テーブルの独裁者》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」