《楽しいブドウ山》(読み)たのしいぶどうやま

世界大百科事典(旧版)内の《楽しいブドウ山》の言及

【ツックマイヤー】より

…その後,演出助手や文芸部員として各地を渡り歩き,ラインハルトのベルリン・ドイツ座に雇われ,ブレヒトの同僚だったこともある。1925年,民衆喜劇《楽しいブドウ山》を発表すると,そこに描かれた奔放な性の謳歌を織りまぜる民衆生活の素朴な哀歓が,表現主義演劇の抽象的な絶叫に飽きた観客を魅了し,大当りをとった。翌年ザルツブルク近郊に定住後は,《シンダーハネス》(1927),《カタリーナ・クニー》(1929),さらに31年には,軍服に象徴される権力への盲従を風刺した《ケーペニックの大尉》の上演が大成功。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」