《滝口入道》(読み)たきぐちにゅうどう

世界大百科事典(旧版)内の《滝口入道》の言及

【高山樗牛】より

…第二高等中学(後の第二高等学校)を経て1896年東京帝大文科大学哲学科を卒業。94年在学中《読売新聞》の懸賞小説に《平家物語》に材を取った悲恋物語《滝口入道》が入選し注目されたが,樗牛自身は学問の活性化をめざしてエッセイストの道を選んだ。96年第二高等学校教授となったが,翌年辞任して博文館に入社,雑誌《太陽》の主筆として,鋭い批評文を精力的に書いた。…

※「《滝口入道》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」