世界大百科事典(旧版)内の《生機論》の言及
【岡研介】より
…のち友人坪井信道のすすめで江戸に出る途次,大坂で同郷の先輩斎藤方策と会い,そのまま大坂に開業,郷里岩国侯に召されて大坂を去ったが,そのころから精神病を発して没した。著書に日本最初の生理学総論書《生機論》(1831成稿)や,シーボルトに提出した論文《紀州産鯨についての記述》(梶取屋治右衛門《鯨志》の蘭訳)がある。【宗田 一】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」