《算爼》(読み)さんそ

世界大百科事典(旧版)内の《算爼》の言及

【村松茂清】より

…村松の家塾は江戸にあり,二本松藩士の礒村吉徳とともに二大勢力であった。村松が著した《算爼》(1663)は,中国の《算学啓蒙》の影響を受けて,内容も高度でよく整頓されている。従来の数学から抜け出て,次の数学者に大きな影響を与えた。…

【和算】より

…明治以前の日本人が研究した数学。研究者により,その初めを,(1)上古,(2)1627年(寛永4)刊の吉田光由著《塵劫記(じんごうき)》,(3)74年刊の関孝和著《発微算法(はつびさんぽう)》とする3通りがある。
[奈良・平安時代]
 養老令(718)によれば,官吏養成のための学校である大学寮を設置し,現在の中学生くらいの少年がここで勉強した。この課程の中に数学があり,定員は算博士2人,算生30人であった。…

※「《算爼》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」