《老子化胡経》(読み)ろうしかこきょう

世界大百科事典(旧版)内の《老子化胡経》の言及

【禁書】より

…後漢の末から三国時代にかけ民間に仏教が流通する一方,道教もしだいに組織され,仏道2教の衝突が絶えず起こるようになった。南北朝から隋・唐の間にあってその争論の中心となったのは《老子化胡経(かこきよう)》という偽経である。老子が釈迦を教えたと説くこの道教の偽経に対抗して,仏教側も老子を仏弟子とする《老子大権菩薩経》等を偽作した。…

【老子化胡説】より

…すなわち,西方の関所をこえて姿をかくしたと伝えられる老子は,実は胡地におもむいて性質のひねくれた胡人を教化するために仏教をはじめたのだといい,したがって仏陀は老子の変化身にほかならないと説かれる。166年の後漢の襄楷(じようかい)の上奏の一節に,〈老子は夷狄(いてき)に入りて浮屠(ふと)(仏陀)となる〉とあって,その萌芽がうかがわれるが,六朝時代以後,仏教にたいする道教の優位を主張するこの説は,排仏論の有力な武器となり,老子化胡を主題とする説話がさまざまに語られ,また《老子化胡経》とよばれる書物が制作された。西晋の道士の王浮が道仏二教の邪正をめぐる僧侶との論争に敗れた腹いせに制作したのが最初の《化胡経》であるといわれ,以後,増広を加えつつ何種類かのものがあらわれた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」