《西洋衣食住》(読み)せいよういしょくじゅう

世界大百科事典(旧版)内の《西洋衣食住》の言及

【インバネス】より

…名はスコットランドの都市インバネスにちなむもので,幕末に洋服をとり入れた日本でもこれが着用され,その形から鳶(トンビ)と呼ばれた。福沢諭吉が片山淳之助の名で著した《西洋衣食住》(1867)に,〈合羽 マグフエロン 日本ニテ俗ニトンビト云〉とある。このケープ式袖付は和服の上に着られるので,和装防寒コートに利用された。…

【敷布】より

…西洋風の敷布を用いるようになったのは,明治時代以降である。幕末の1866年(慶応2)に,欧米生活を体験していた福沢諭吉は《西洋衣食住》を著し,欧米人の寝台を使用する生活方式を図解して紹介した。たとえば,〈敷蒲団ハ一番下ニ藁,其次ニ棉,其次ニ毛ノ蒲団ト順々ニ三枚モ敷キ,上ニ晒ノ白布ヲ覆ヒ,……上ニ掛ル夜具ハ甚ダ薄シ。…

【ネクタイ】より

…今日では絹とともにアセテート,レーヨン,ポリエステルなどの化学繊維やウール,またニットのネクタイも使われている。 日本にネクタイがもたらされたのは幕末の洋服移入に伴うもので,《西洋衣食住》(片山淳之助,1867)に〈襟締 子(ね)ッキタイ〉として紹介され,〈首巻ハ麻ナリ又ハ紙ニテ製シタルモアリ〉と記されている。 現在用いられているネクタイの種類には以下のものがある。…

【フロックコート】より

…19世紀前半に市民服として流行したが,やがて日常着にモーニングコートが用いられるようになると,フロックコートは礼服となり,その後すたれた。日本へは片山淳之助(福沢諭吉)の《西洋衣食住》(1867)に〈割羽織――ゼンツルマンコート〉として紹介された。1872年(明治5)の官員服制以降普及した洋服は,ほとんどフロックコート型であり,軍服にも採用された。…

※「《西洋衣食住》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」