世界大百科事典(旧版)内の《説文解字繫伝》の言及
【徐鉉】より
…兄徐鉉とともに南唐に仕えて集賢殿学士にまでなったが,南唐滅亡後,憂憤して死んだ。《説文解字繫伝(せつもんかいじけいでん)》40巻を完成し,また《説文解字》の文字を四声によって配列した《説文解字韻譜》をつくっている。【外山 軍治】。…
【説文解字】より
…単に《説文》ともいう。中国で漢字の構成すなわち〈六書(りくしよ)〉に従ってその原義を論ずることを体系的に試みた最初の字書。後漢の許慎の著。〈後叙〉と呼ばれる序文1篇をあわせて全15編。〈一〉の部に始まって,十二支最後の〈亥〉の字に終わる540部に分かれる。配列の順序は〈一〉の次は〈二〉,その次は〈示〉というように,字形上の連鎖感を配慮しながら,また十二支所属の文字が最後にまとめて置かれるなど,当時中国で普通に人のいだいていた宇宙構成に関する思考をも重ね合わせて決められたものである。…
※「《説文解字繫伝》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」