世界大百科事典(旧版)内の《諸国風俗問状答》の言及
【おせち料理(御節料理)】より
…おせちともいう。〈おせち〉〈せち〉は節供(せちく)の略で,もともとは節日,物日の儀式的な食物をいったが,節供の語が節日の意に用いられるようになって,〈御節料理〉の語が発生したものと思われる。また,節日のうち最も重要なのが正月であることから,正月料理をさすようになり,さらにその中の祝肴(しゆこう)その他の組重(くみじゆう)の物をいうことが多くなった。組重は重詰料理のことである。文化年間(1804‐18)に屋代弘賢が全国各地に質問状を出して民俗を問い合わせた《諸国風俗問状》に〈組重の事,数の子田作(ごまめ)たたき牛房煮豆等通例,其外何様の品候哉〉という質問があり,当時すでに子孫繁栄,豊作,健康(まめ)を意味するめでたい食品として,かずのこ,ごまめ,黒豆を基本的な祝肴とする風習が全国的であったことをうかがわせる。…
【風俗問状答】より
…江戸中期の国学者で幕府の右筆(ゆうひつ)でもあった屋代弘賢(やしろひろかた)が全国各藩の儒者や知人あてに送った〈風俗問状〉に対する答書。中山太郎がこれらの答書を集成し,解題と校注を付して《諸国風俗問状答》として1942年に刊行している。〈風俗問状〉は,諸国で行われている風俗習慣を収集するために作られたいわば調査項目表で木版の小冊子とされ,1813年(文化10)ころ逐次各藩に送られたらしい。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」