《軍艦行進曲》(読み)ぐんかんこうしんきょく

世界大百科事典(旧版)内の《軍艦行進曲》の言及

【軍歌】より

…これらは山田源一郎編《大捷軍歌》(全7編,1894‐97)に収められ,その緒言には〈勇武ナル国民ノ相続者タル第二国民〉のためにこの歌集が編まれたとされており,これは文部省検定済の教材であった。日露戦争(1904‐05)には,その後長く歌われる《軍艦行進曲》や《戦友》(これは日中戦争以後,厭戦的気分のゆえに軍に忌避された)などが作られたが,大正期には軍歌らしい歌は作られなかった。 1937年の日中戦争開始後,軍歌は急増するが,この時期にはラジオ,レコードを通じて《暁に祈る》《父よあなたは強かった》《麦と兵隊》など軍国歌謡といわれる歌が増えた。…

【軍楽隊】より

…1905年に開始された陸・海軍の日比谷公園演奏会の役割は大きい。陸軍軍楽隊長,永井建子(けんし)(1865‐1940)は《道は六百八十里》などの作曲家としても有名で,海軍では瀬戸口藤吉(1868‐1941)が《軍艦行進曲》など多くの行進曲を残して有名である。1945年終戦とともに両軍楽隊は解散し,現在は陸・海上自衛隊の音楽隊および警視庁音楽隊,東京消防庁音楽隊がある。…

【国歌】より

… 国歌は国や民族の聴覚的な象徴であるから,音楽作品において国を表示するために国歌を引用することがある。よく知られた例には,シューマンの《二人の擲弾(てきだん)兵》(フランス国歌),チャイコフスキーの序曲《1812年》(ロシア,フランス国歌),瀬戸口藤吉の《軍艦行進曲》(君が代)などがある。数多くの国歌を引用・変形した作品は,シュトックハウゼンの《賛歌(国歌)Hymnen》である。…

【瀬戸口藤吉】より

…1882年海軍軍楽隊生徒として入隊。97年に鳥山啓の作詞に作曲した《軍艦》を1900年改作して《軍艦行進曲》とし,この曲は日本の代表的行進曲となった。1908‐17年日比谷公園野外音楽堂で軍楽隊の定例演奏を行い,11年イギリス国王戴冠式に際して軍楽隊を率いてヨーロッパ各地で演奏した。…

※「《軍艦行進曲》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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