《鎧なき騎士》(読み)よろいなききし

世界大百科事典(旧版)内の《鎧なき騎士》の言及

【ディートリヒ】より

…2人の〈協力関係〉は,人気の衰えとスタンバーグの離婚をめぐるスキャンダルのため35年に解消された。 ディートリヒはイギリスで《鎧なき騎士》(1937)に出演,駐英ドイツ大使リッベントロップを通じて,ドイツへ帰ってナチスのスターになるようヒトラーの要請を受けたが拒否し,39年にはアメリカ市民となった。西部劇《砂塵》(1939)で酒場女を演じ,スタンバーグ監督と別れてからもなお人気スターであることを証明したが,その後ヒット作はほとんどなく,〈box‐office poison(映画興行の“癌”)〉と呼ばれた。…

【フェデル】より

… 同じベルギー出身の脚本家シャルル・スパーク(1903‐75)との共同脚本と夫人のロゼー主演の《外人部隊》(1934),《ミモザ館》《女だけの都》(1935)は1930年代フランス映画の代表作であるにとどまらず,世界映画史を飾る作品に数えられているが,《女だけの都》はナチの侵入後ゲッベルスによって公開を禁止され,フェデルは戦争の間スイスへ避難することを余儀なくされた。そのほか,アレクサンダー・コルダに招かれてイギリスでマルレーネ・ディートリヒ主演の《鎧なき騎士》(1937),ドイツで《旅する人々》(1938)などを撮っている。ロゼー夫人との共著《映画,私たちの職業》(1944)がある。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」