《驪山比翼塚》(読み)めぐろひよくづか

世界大百科事典(旧版)内の《驪山比翼塚》の言及

【俠客物】より

…雁金五人男は1702年9月大坂岡本文弥座上演の人形浄瑠璃《雁金文七秋の霜》が最初で,《男作五雁金(おとこだていつつかりがね)》(1742年7月大坂竹本座,竹田出雲作)など多くの作を生んだ。また上方では黒船忠右衛門,梅の由兵衛など,歌舞伎・人形浄瑠璃に数々の俠客物が生まれたが,一方江戸でも,79年(安永8)7月肥前座所演の人形浄瑠璃《驪山(めぐろ)比翼塚》(源平藤橘ら作)以降の幡随院長兵衛の劇化,また1713年(正徳3)4月山村座《花館愛護桜(はなやかたあいごのさくら)》以降の十八番系の助六劇が盛行し,江戸っ子精神を代表する任俠としてもてはやされた。本朝丸綱五郎や朝比奈藤兵衛など実在しない俠客も創作され,77年5月中村座《本町育浮名花聟(ほんちようそだちうきなのはなむこ)》,1760年(宝暦10)7月竹本座《極彩色娘扇(ごくさいしきむすめおうぎ)》などの情話中の任俠として描かれている。…

【権八小紫物】より

…これに,時代にずれがあって関係ないはずの俠客幡随院長兵衛を結びつけて脚色したものが多い。その最初は1779年(安永8)5月江戸森田座の《江戸名所緑曾我(えどめいしよみどりそが)》で,7月江戸肥前座には人形浄瑠璃の《驪山比翼塚(めぐろひよくづか)》が登場した。その後初世並木五瓶作《思花街容性(おもわくくるわかたぎ)》,初世桜田治助作《契情吾妻鑑(けいせいあづまかがみ)》,4世鶴屋南北作《霊験曾我籬(れいげんそがのかみがき)》,福森久助作《比翼蝶春曾我菊(ひよくのちようはるのそがぎく)》(作中の清元《其小唄夢廓(そのこうたゆめもよしわら)》は今も流行)などを経て,1823年(文政6)3月江戸市村座の南北作《浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなずま)》が決定版。…

※「《驪山比翼塚》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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