世界大百科事典(旧版)内のアイルランド市民軍の言及
【イースター蜂起】より
…第1次大戦中で,イギリスの敵国ドイツから武器を購入するが搬入に失敗し,指導部内にも混乱が生じて,蜂起はほとんどダブリン市内だけで行われた。P.H.ピアスの指導するアイルランド義勇軍約1600名,J.コノリーの指導するアイルランド市民軍約200名が参加し,ダブリン中央郵便局など市内15ヵ所を占拠し,24日にはアイルランド共和国臨時政府樹立宣言が中央郵便局で発表され,軍事委員会のメンバー7名(T.J.クラーク,S.マックディアマダ,T.マックドナー,ピアス,E.カント,コノリー,J.M.プランケット)がこれに署名した。しかし,2万のイギリス軍との1週間近い戦闘ののち,蜂起軍は29日に無条件降伏する。…
【コノリー】より
…帰国後ベルファストでアイルランド運輸・一般労働組合の組織者となり,12年にはジェームズ・ラーキンとともに労働党を結成した。13年のダブリン大争議を指導し,資本側の攻撃から労働者を守るためにアイルランド市民軍を組織した。16年イースター月曜日には,この市民軍を率いてP.H.ピアスのアイルランド義勇軍とともに蜂起し,ダブリンの中央郵便局に本部をおいて蜂起軍を指揮した。…
※「アイルランド市民軍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」