世界大百科事典(旧版)内のアカデミア・デイ・リンチェイの言及
【アカデミー】より
…15世紀後半から16世紀にかけて続々と生まれたイタリアのアカデミーは,その多くがウマニスタ(人文主義者)たちの会合を母体として生まれたもので,当時の学問の最先端を開拓し,古典研究のほかにとりわけ自然科学に力を入れた。中でも有名なのがガリレイの属していたローマのアカデミア・デイ・リンチェイAccademia dei Linceiで,フェデリコ・チェシが1603年に設立した。30年,彼の死とともに消滅するが,18世紀には復活し,さまざまに形を変えて今日なお健在である。…
【学会】より
…その反面,使命を終えた専門分野や有効性をなくしたパラダイムに依拠する学会は,硬直化・陳腐化を余儀なくされ,場合によっては消滅する。
[学会の成立]
学会の起源をどこに求めるかについては,歴史家の間でさまざまの議論があるが,1603年,チェシFederico Cesi(1585‐1630)をパトロンとしてローマに誕生したアカデミア・デイ・リンチェイAccademia dei Linceiを近代的な学会の先駆とみるのが普通である。このアカデミーにはガリレイも会員として名を連ねていたが,パトロンの死去にともなって30年ころ活動が途絶えてしまった。…
※「アカデミア・デイ・リンチェイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」