世界大百科事典(旧版)内のアカデミア・デル・ディセーニョの言及
【アカデミー】より
…(4)会員である画家,画学生に作品展示の機会を与え,そのことによる美術の普及。 このような性格を部分的にせよ備えた本格的なアカデミーの最初の例は,バザーリの構想に基づき,トスカナ大公コジモ・デ・メディチとミケランジェロを総裁として,1563年フィレンツェに設立されたアカデミア・デル・ディセーニョAccademia del Disegnoである。これは,それまで各ギルドに分散していた建築家,彫刻家,画家が,〈ディセーニョdisegno(素描)〉を共通の基盤とする造形芸術の3分野の担い手であるという自覚のもとに集まった団体で,職能組合的性格をもったギルドの拘束からの芸術家の解放やその社会的地位の確立に貢献した。…
【素描】より
…定義の前半はチェンニーニの伝統を継いでいるが,後半はミケランジェロの考えを示している。このようにバザーリは,彼以前の素描論の総合を試みたばかりでなく,コジモ・デ・メディチのもとに1563年彼自身創設した最初の美術アカデミーは〈アカデミア・デル・ディセーニョ〉と呼ばれるにいたった。このような素描論の極限の例は,ローマの〈アカデミア・ディ・サン・ルカ〉院長フェデリコ・ツッカリである。…
※「アカデミア・デル・ディセーニョ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」