世界大百科事典(旧版)内のアキテーヌ公国の言及
【アキテーヌ】より
…また,イベリア半島に隣接するその位置から,つねにイスラム文化ないしモサラベ文化の影響を受けたこともこの地方の特色の一つをなすことになる。 11世紀中葉,ポアティエを首都とするアキテーヌ公国が,ガロンヌ川以南を領有するガスコーニュ公国を併合することにより,ロアールからピレネーに至る地域が再び統一された。公国はその後1世紀にわたり繁栄し,アキテーヌ公の威勢は,その封建主君であるフランス王をさえしのぎ,その宮廷では,宮廷風恋愛をうたうトルバドゥールに代表されるような洗練された享楽的な貴族文化が早熟な開花を見せ,カペー朝の宮廷の粗野で厳格な気風と際だった対照を示した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」