世界大百科事典(旧版)内のアギルルフォの言及
【ランゴバルド王国】より
…しかしこのような結果が可能となったのは7世紀の初期に決定的な変化が起こったからである。584年に王政を復興したアウタリの息子アギルルフォAgilulfo王(在位590‐616)は残留ローマ人有力者を宮廷に登用し,607年にはカトリックに改宗した。また626年ごろに首都がパビアに定着し,さらにビザンティン帝国の制度をまねた官僚・行政・警察機構も導入されて,ここにランゴバルド国家が本格的に始まることになる。…
※「アギルルフォ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」