世界大百科事典(旧版)内のアクアエ・セクスティアエの戦の言及
【チュートン人】より
…2年後キンブリ族がガリアへ戻ると諸族は2派に分かれてのイタリア侵寇を図り,テウトネス族はアンブロニ族Ambroni(おそらくキンブリ,テウトネスと同じく北方ゲルマン系の部族。確かなことは不明)とともに沿海アルプス側からの侵入を企てたが,前102年アクアエ・セクスティアエ(現,エクサン・プロバンス)の戦でマリウス麾下(きか)のローマ軍に全滅させられた。これ以後テウトネス族は史料から姿を消すが,〈inter Toutonos〉と刻まれた境界石が発見されたことから,後2~3世紀のマイン川地方にその生残りが居住していたとも考えられている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」