世界大百科事典(旧版)内のアグアスカリエンテス会議の言及
【アヤラ計画】より
…その中でサパタは,これまで支持してきたマデロ大統領との決別を表明し,農地改革の具体策として大農園(アシエンダ)によって不法に占拠された村の共有地ならびに水利権の返還,土地なき農民への土地の再分配,それに反対するものの土地の強制接収などを宣言した。このアヤラ計画は1914年,革命の諸勢力を集めて開かれたアグアスカリエンテス会議で承認され,革命の大綱領へと昇格した。さらに15年1月6日の護憲主義派カランサによる農地改革法および1917年憲法の第27条(土地に関する基本条項)にもり込まれ,現代メキシコの農地改革政策の基礎となった。…
【サパタ】より
…しかし,やがて政治の民主化を優先し農地改革の緊急性を理解しなかったマデロと対立し,同年11月農地改革の具体策を提唱した〈アヤラ計画〉を発表してマデロと決別した。以後一時北部の革命指導者ビリャと連帯し,14年革命の諸勢力が一堂に会したアグアスカリエンテス会議で農地改革を全国革命綱領として採択させるのに成功,メキシコ革命における農地改革の理念と実践に大きな影響を与えた。しかし,護憲主義を掲げる革命指導者カランサと対立し,その後ゲリラ戦に転じて中央政府に対し抵抗を続け,19年4月10日,連邦政府軍将校ヘスス・グアハルドによってチナメカ農園で虐殺された。…
※「アグアスカリエンテス会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」